元、とつけるべきだろうか、ファウンテインズ・オブ・ウェインのクリス・コリングウッドによるソロプロジェクト。
ファウンテインズが終わってしまった経緯は、この期間のインタビュー等をいくつか読むと辿れる。「ステイシーズ・マム」のヒットが最初の打撃であったかもしれない。もちろん成功は歓迎すべきことだが、あの曲の成功が、たぶんMVのせいもあって、本来そぐわないオーディエンスを引き寄せてしまった。そんなふうに、いくぶん後悔でもするように語っていたりする。それが原因かどうかは知らないが、クリスはメンタルやられてアルコール飲みすぎて、日本での公演キャンセルなんてこともあったらしい。体調の影響もあったのあろう。4thアルバムではクリスは3曲しか作っていない。4thは相当程度アダムの主導で完成させ、そのことがパワーバランスを、二人の関係性を崩してしまった。そのことがこたえたみたいだ。「一度そうなってしまうともう元にもどるのは簡単じゃなかった」とクリスはいう。5thはもう一度力を合わせたわけだが、もめにもめた。FOWの売りのひとつでもあったコミカルなトーンの歌詞を、クリスが嫌がっただとかで。成功の波に乗りたいアダムと、むしろ降りたいひねくれクリスの構図がなんとなく思いやられる。なんとか5thアルバムを完成させて出来には満足しているが、「もうあんなことは二度とくり返したくないとお互い思っているよ」と、実質的に最後のアルバムであることを、告白してもいる。おなじみの方向性のちがい? ある意味ではそうなのだろう。
というわけでのソロアルバム。



極上のメロディソング集である。もともとぼくはクリスびいきなので、クリスのソロというのはむしろ大歓迎、というかFOWのどのアルバムよりも粒がそろっているじゃないか、とさえ思う。やはりというべきか、意識的にFOW的なパワーポップを離れ、朴訥なサウンド。まあでも後期FOWのクリス曲とそんなに違わないといえば違わない。特筆すべきはやはりメロディで、冒頭のshout part 1からしてこの意外性と親しみさすさの絶妙なバランスはどうだろう。なんでもできるといわんばかりに音階を好き勝手に行き来するが、それが見事に舞踏になっているというような。マエストロである。クリスの作曲は同時代でも飛びぬけていて、それこそジャクソンブラウンだとかキャロルキングだとかのレベルにある、とかぼくは思うのだけど、みんなそう思わないのだろうか、不思議だ。もっともFOWらしいのはAeroplaneかな、このままギタポでもいけそうだ。ぼくのおきにいりYou can Come Round If You Want Toはout of state plates(名盤!)に入っていそうな感じ。



カントリーのbreezy、得意?のマイナーキーの曲名もそのままminor is the lonely key、stars of new yorkやCrash that pianoあたりはAORっぽい雰囲気もあってFOWではなかったアウトプットかもしれない。どこをとってもグッドソング揃いの良盤だが、じつのところ惜しいという思いも残る。
クリスのたっての希望でプロデューサーにミッチェル・フルームを迎えているわけだが、期待ほどの貢献を果たしているかは疑問。ミッチェル・フルームといえば、ぼくにとってはスザンヌ・ヴェガとロン・セクスミスの、こうパーカッションの多彩さと、フォーキーなのにオルタナなとんがったアレンジだけど、このアルバムでは、それがなんか普通なんだな。シンプルさをこそクリスが求めたところなのかもしれないが、おっと思うようなサウンドがない。FOWに比べても、キラキラしたところがない。キラキラの代わりに何かあればいいがそれがない。やっぱりFOWのあのキラキラは相当程度アダムの功績だったのだな、といまさらながら思うのだ。クリスは天才だが、それをプロデュースするもう一人の誰かが必要なタイプの才能なのだ。

デュオフェチのぼくとしては、もうひとりのマエストロであるロンセクスミスをゲストヴォーカルで入れてたりしたら最高なのにな・・・とかも思うわけだが。というわけで、ロンが参加したこの曲が聞きたくなる。



ああもうなんか、泣けてくるなこれ。これこそがFOWだよ。ステイシーズマムじゃあないんだよ。

ところで小説家デヴィッド・ミッチェルの新作、架空の60年代バンドを描いた『ユートピア・アヴェニュー』だってさ。FOWファンは引っかからずを得ないよね。