ジャズを聴くようになるずっと前に、チェットベイカーのドキュメンタリーを観た。

大学の授業だった。なんの授業だったか覚えていないが、たしか講師はろくに日本語も喋れないアメリカ人だったように思う。彼にかぎらず大学の講師というのはえてして自分の受け持った時間を、ありものの映像を見せることによって費やそうとする。手抜きっちゃあ手抜きだが、おれの話を一時間聴くより、時間かけて作られた映像作品を観たほうがずっとましだろ? という考えなら、それはまったくそのとおりなのかもしれない。
そういう状況で観させられたものは、自分で選んで観たものとは違って、妙に記憶に残ったりするものだ。

じっさい、チェットベイカーの歌声と「レッツゲットロスト」というフレーズはぼくの脳裏に刻み込まれた。

ジャズに親しんだ今になって思うのだけど、あれがひとつぼくにとってのジャズのイメージの根元にあるような気がする。たとえば『スウィングガールズ』でジャズに出会っていたら、また違った違っていただろう。

そのドキュメンタリーが捉えていたものは50年代の「時代精神」のようなものであり、また普遍的な若者の、ここにはない何かを希求する(がゆえに破滅へと向かう)心性のようなものだったと思う。
それを見て、たぶんぼくはこんなふうに思った。60年代ロックがもっていた意味合いを50年代はジャズが担っていたのだなと。ベイカーは、ジャニス・ジョップリンやシド・バレットやジム・モリソンみたいだと思った。
細かく言えば、そこには誤解もがあるわけだけど、そんなことはその時のぼくの知ったことではなかった。


 
ユーチューブに『レッツゲットロスト』というドキュメンタリー上がってるけど、ぼくが観たのがこれだったのかは自信がない。これはある意味「生きながらえた」ベイカーに焦点を当てている感じだけど、ぼくが見たのはもっと若いベイカーに焦点を当てていたように記憶しているけど、それはただたんにそっちの方が残っていたというだけなのだろうか。

「ベイカーに限らず」とアメリカ人講師は言った。「芸術の体験はすさまじい高揚をもたらす。しかし、それは長くは続かない。良い演奏をし、それに続く賞賛を身に受ける短い間だけだ。それ以外は日常がある。芸術家の精神にとっては、日常へと戻ることはすさまじい下降を意味する。彼らはその下降に堪えられない。あの高揚の時間をなんとか取り戻したくて、ドラッグに手を出すことになる・・・」 

ベイカーはフォトジェニックなルックスと甘い声でもって、20代にして時代の寵児となった。そして多くのジャズミューシャンのご多分にもれず、ドラッグアディクテッドとなった。しかし、例外的にというか、生き延びた。しわしわのおじいちゃんになって。そのことにはまた別の意味合いがあるだろう。しかし、彼がどこかの時点で死んでいたとしても、同じことだ。彼らははじめから破滅へと向かっていた。ベイカーはある意味でたまたま生き延びたということなのだ。「レッツゲットロスト」はただのスウィートなラブソングなんだけど、そも初めから、破滅へと向かう彼の生き様をたしかに象徴するかのようなタイトルだ。「消えてなくなろう、お互いの腕の中に・・・」


 
というわけでぼくはヴァーカルもののジャズは基本聴かないが、チェットベイカーだけは一枚持っている。超有名盤の「シングス」。「レッツゲッツロスト」は入ってないが。

チェット・ベイカー・シングスチェット・ベイカー・シングス
チェット・ベイカー

ユニバーサル ミュージック 2016-10-25


正直、一辺倒だしスウィートすぎるしで通して聴くのはぼくにとってはしんどいのだけど、たまに聴くとぐっとくる。短い曲だが「マイファニーヴァレンタイン」がとくにいい。ヴォーカリストとしてのチェットベイカーはやっぱり唯一無二な魅力があるよな。普通の意味でうまいというのではないだろうけど歌唱法そのものがオリジナルなんだな。静かに抑制されて高ぶらない。油断するとリラックスしてしまうが、良いときには緩みながらびっと張り詰めている。表現力豊かな歌手にくらべると、むしろ無感情的にすら思えるが、ジャズ特有のメランコリックな音階と相まって、独特のにがくてあまい憂愁を纏っている。だだったぴろい地平線のような物悲しい叙情がある。
なんだかんだ書いたが、破滅的な傾向と関係づけられるような音楽ではないよな。生き様は生き様。音楽は音楽それそのものとして美しい。