誰にだってそろそろポップミュージック以外の音楽にも手を出してみようかなんて思う時期があると思うのだけど、ぼくもそんな風にしてわけもわからずベートベン聴いたり、ジャズメッセンジャーズ聴いてみたりした頃があって、でも結局いまひとつぴんとこず、結局馴染みのポップミュージックに居座っていたというような時期に。

そうだな、念願のCD屋でバイトすることになったぼくは、そこで大学でジャズをやっていたというSくんに出会って、Sくんはぼくなんかよりもずっと深く音楽に墜ちている人で、ぼくのずっと先を歩んでいる人だったわけだけど、とにかく無造作にCDをわんさと貸してくれることくれること。どういうきっかけかも思い出せないが、ジャズ聴き始めるなら、みたいな感じで貸してくれたんだっけか、何枚かぽんっと貸してくれて、その中の一枚がこれだった。

ワルツ・フォー・デビイ+4ワルツ・フォー・デビイ+4
ビル・エヴァンス

ユニバーサル ミュージック 2014-10-07
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 ジャズ知ってる人ならもはや説明不要の名盤というか、ジャズ入門のド定番盤でもある。ベタだけど、ぼくにとってのジャズ入門もこれだった。Sくんは他にはキース・リチャーズのトリオとかマイルズの『フォア&モア』なんかも借りた気がするけど、ぼくにとってはなにはともあれこのレコードだった。「なんでこれを最初に貸してくれなかったんだよ?」とSくんに言ったものだった。

いまだったらこのレコードの価値の本質はエヴァンズとラファロの「インタープレイ」にこそあると、そんな風なこともいうことができるけど、当時はジャズが何かも分かっていなくて、ただ音楽が、それ自体として、ぼくを動かした。
闇の中の光、そんな感覚的なイメージが思い浮かんだ。「彼岸の美」と当時ぼくは、芸術のある種の審美的要素をそう呼んでいたものだった。
ロマンティック、聴きやすい、寛ぐ、なんて言われることもあるけど、ビル・エヴァンズの音楽は本質的には僅かな灯をたよりに深い暗闇に向かうような、思いつめたところがあると思っている。このレコードと「エクスプロレイションズ」はとくに。その暗さはある意味ぼくにとっては馴染み深いものだったような気がする。たとえばぼくにとってとても重要なゾンビーズの「ローズフォーエミリー」にも近質するような。
それから演奏の隙間に聞こえる食器がカチャカチャ鳴る音とか客の遠慮のない話し声、そういうものが醸し出す空気、ぼくはステレオの前で坐って聴いているわけだけど、そのままにしてどこか別の場所に移動させられているような感覚もあった。
2曲目の「ワルツーフォーデビー」のキュートなメロに心が奪われた。「ああこれ好きかも」って思えて、ワンコーラス終えて4ビートになってドラムが入ってくるところで、わっわって、体が弾むような感覚があって、その瞬間にそれまで分からなかった、ジャズが分かっちゃった。「おいおい、これがスウィングってやつかよ、まいったな」ってニヤけながらおもった。ポップミュージックにはなかった(まあぼくの聴いていたのは白人のロックおよびフォークばっかりだったからなんだろうけど)、ぼくにとっては新しい音楽の蓋が開いた瞬間だった。



(この映像はレコードとは面子が違う。ベースはポール・サイモンがジャズを教わったことでもおなじみのチャック・イスラエルズだ。)

それがすべての始まりだった。第二の青春とでもいおうか、中学生のころビートルズに出会って、なにもかもが新しい未知の価値の世界に潜入しはじめたあのころのドキドキ、そりゃぼくもずいぶん年をとったしまったく同じじゃなかったろうけど、それに似たような興奮の中で、ひたすらツタヤなんかに通っていろんなジャズを聴き漁った日々、ジャズのディスクガイドやらを読みまくったりしつつ、どこかで待っているはずのぼくの好きな音楽を探して、ダンジョンを探索するかのように、未知の世界を心を熱くしながら彷徨った日々、つまりぼくのジャズエイジが始まったのだった。

ついでに言うなら、ジャズは仕事に疲れたおっさんが寛ぎの時間に聴くためのリラックス音楽でもなければ、カフェやレストランのお洒落な雰囲気を演出する音楽でもなくて、音大のエリートが自分の理屈や演奏技術を誇示するための音楽でもない。自分しか見えていない価値や美を求めて不確かな闇の中を盲滅法に疾走/失踪する性急で青春的な音楽なのだ。と、ぼくは思っている。