高校生一年生の誕生日に、父親にギターを買ってもらった。いまでもそのギターを持っている。
最初は「フォークギター入門」みたいな本を買って、最初は「秋桜」だとか、「なごり雪」だとか、「贈る言葉」だとかを練習したっけ。授業中にも、右手をネックに見立てて、コードフォームを練習したり、逆に左手を弦にみたててストロークの練習をしたり。今思えばあんまり意味の無いことのような気もするけど。
とはいえ、家の中で音を出すのは、家族もいるので憚られた。贔屓目にいってもぼくは音楽的才能があるほうではない。下の上、よくて中の下といったところだ。他人に聞かせるなんて思うだけでもはずかしい。学園祭でクラスメイトがバンドを組んで「ホテルカリフォルニア」を演奏していたことがあったっけ。ぼくはそれを座って眺めながら、ぼくにはそんなこと出来ないし出来るようにもならないだろうなって思ってた。でもそれが分かっていたところでやめられることでもなかった。
ある程度コードを押さえられるようになると、自分で曲を作りたくなってきた。というかそもそもそれがやりたかったのだと思う。演奏技術とかはわりとどうでもよかった。ギターを上手く弾きたいのじゃなくて、何かを創りたかった。適当にコードを選びながら鼻歌メロディを乗せる。それをぼくは自分の中で「作曲」と称した。歌詞はなくて、ただでたらめの英語でメロディをつけていた。実はいまでもそれに類することはたまにやる。でもまあこれは楽器を持っているひとは誰もがやることですよね?
その隠微な趣味は大学生になって一人暮らしをはじめてから一気に亢進した。小さなテレコを使って自分で作った曲を録音しはじめるようになる。誰に聴かせるでもなくひとりえんえんと。そうとうな時間をそのとれた耳垢を集めるがごとき不毛な行為に費やしたと思う。テープの数は増えていった。眠れぬ夜にそれを聴きながら寝ることもあった。当時においてさえ、それを良い音楽だと感じてのことではない。ただなんとなく落ち着いたのだ。それはただ自分の体臭を飽かず嗅ぐことのような、幼児的で退行的な慰謝を求める行為であったのだと思う。ある段階で最初の3本は、あまりに不出来に思えたために捨ててしまったけど、残りのテープはいまでも持っている。カセットテープを再生する装置がないので、もう聴くことはできないけれど、あっさりとは捨てる気にはどうしてもなれない。
大半の曲はもう思い出すこともできない。でも最初につくった曲は今でも覚えている。その曲は出だしの部分だけ言葉がつけられていて、それは「I've lived in a hole in a corridor」というフレーズで、「廊下の穴に住んでいた」ってなんのことだ?とは思うけれど、そのときはそれだけで何か創ってやったぜって気分になったものだ。こんな曲だ。(もとは8小節だけの曲だったけど、あまりにさびしいので後半部を今適当につけた。遥か時を隔てた自分との共作である。)

みなさんどうぞ、聴かないでください。