ぼくにとって最後のロックバンドはブロックパーティだが、ぼくのギターロック期のエンドロールに流れるのはこの曲にしたい。
それと意識していたわけではなかったが、音楽といえばギターロックが基準であったような時代がぼくにもあったわけなのだ。でも、もともとフォークみたいなのが好きだったので、そういう嗜好は薄かったのもあるし、2000年辺りから「ノイジーなギター」が少しずつダメになってくる。(ブロパがよかったのは「不明瞭なギターの音」が無かったからなのだ。)トムヨークが「ギターなんて退屈だよ」といったからなのか、オアシスにもはや再浮上の見込みはないと分かったからなのか、ジャズとかに興味が出てきたからなのか、それとも、失われてゆく若さのゆえなのか。その辺は良く分からないが、ギターロックというのは多分に、もちろんぼくにそんなものがあったとすればの話だが、「青春」的な音楽なのかもしれない。ひとつの輝かしいピークとして思い出すのは、夕方に彼女とセックスをして「やばい間に合わない!」とか言いながら、その日の夜のバンプオブチキンのライブに駆けつけた日のこととか。あの日、新曲だといってまだレコーディングされていない「メロディーフラッグ」を聴いたのだっけ。ああ・・・。
たとえばこの曲はいまでもめちゃくちゃ好きだし、ぼくにとってギターロックの真ん中みたいな曲だけど、やっぱりギターがうるせーとは思う。
こういううるさいギターが気にもならなかったころ。インヴィンシブル、では全然ないが、少なくともヤングだったころ。
いまでは聴かない音楽として、棚の下のほうに押し込まれている一群のCDたち。オアシスと平行してもちろんウィーザーも聴いてた。忘れがたいナイロンボンバーズに、ブーラドリーズ。ペイブメントは最後のアルバムの最後の曲が一番好きだった。2000年代に入ると若干趣味が変わるが、それでもギターロックを聴いていないわけじゃなかった。リバティーンズとかも聴いたし(ベビシャンだがファックフォーエヴァーは素晴らしかった)、アクモンのファーストには興奮したものだった。フラテリスなんてもってたっけ。ステレオフォニックスはないのにな。ランドオブトークってこれ何だ? ああ、ケイジャンダンスパーティ! なつい!
振り返ってみれば、オアシスとレディオヘッドの二大国が治世した90年代後半と、継承権をめぐって群雄が割拠した00年代前半というイメージ。けっきょくどのバンドもネクストオアシスあるいはネクストレディオヘッドたりえなかったけれども。
あのころは音楽雑誌とかも立ち読みしてたし、CD屋で働いていたのもあって、無数のバンドがハイプされてはフェードアウトする不毛なサイクルをけっこう関心をもってみていたものだ。USはUKに比べると喧しくないというかマイペースな印象だが、クラハンもやっぱり最初にワーワー騒がれたけど、そのあとゆっくりと静かになっていった。
これはYさんに借りてコピったのだったな。Yさんは少年みたいにさらっとした女性で趣味も合うので、こんな人と一緒に暮らすのもいいのかもな、とか思える人だったけど、CD屋にしばしばいる(であろう)音楽キチ買いで「ボートラがあるから日本版も買わんといかんかった」とか言うのをきいて一緒に暮らすのはムリだなと思った。
ユニークなフック(つまり変な声と歌い方)をもったバンドだし、メロディもしっかりしているし好きなのだけど、やっぱりエレキギターが少しうるさいし、かれら自身はそれを意識してあえてやってるのだろうが、インディー的なサウンドの粗さというのもあって、ぼくにはぴったりというわけではなかった。そう何度も聴きはしなかった。クラハンがというのではなくて、全体としてもうこういう音楽はいいかな、とそんな時期だった。だけど、セカンドの最後に置かれたこの曲はいまだに偏愛曲だ。
水底できみとぼくが暮らすスペイシーで不思議なイメージ。パレードの終りのような、煌びやかさとちょっぴりのもの寂しさの入り混じったこの感じ。ネガティヴとポジティブの、ファンタジーとニヒリズムの絶妙なバランス。物語の終わりはこんな風であってほしい、と思う。
それと意識していたわけではなかったが、音楽といえばギターロックが基準であったような時代がぼくにもあったわけなのだ。でも、もともとフォークみたいなのが好きだったので、そういう嗜好は薄かったのもあるし、2000年辺りから「ノイジーなギター」が少しずつダメになってくる。(ブロパがよかったのは「不明瞭なギターの音」が無かったからなのだ。)トムヨークが「ギターなんて退屈だよ」といったからなのか、オアシスにもはや再浮上の見込みはないと分かったからなのか、ジャズとかに興味が出てきたからなのか、それとも、失われてゆく若さのゆえなのか。その辺は良く分からないが、ギターロックというのは多分に、もちろんぼくにそんなものがあったとすればの話だが、「青春」的な音楽なのかもしれない。ひとつの輝かしいピークとして思い出すのは、夕方に彼女とセックスをして「やばい間に合わない!」とか言いながら、その日の夜のバンプオブチキンのライブに駆けつけた日のこととか。あの日、新曲だといってまだレコーディングされていない「メロディーフラッグ」を聴いたのだっけ。ああ・・・。
たとえばこの曲はいまでもめちゃくちゃ好きだし、ぼくにとってギターロックの真ん中みたいな曲だけど、やっぱりギターがうるせーとは思う。
こういううるさいギターが気にもならなかったころ。インヴィンシブル、では全然ないが、少なくともヤングだったころ。
いまでは聴かない音楽として、棚の下のほうに押し込まれている一群のCDたち。オアシスと平行してもちろんウィーザーも聴いてた。忘れがたいナイロンボンバーズに、ブーラドリーズ。ペイブメントは最後のアルバムの最後の曲が一番好きだった。2000年代に入ると若干趣味が変わるが、それでもギターロックを聴いていないわけじゃなかった。リバティーンズとかも聴いたし(ベビシャンだがファックフォーエヴァーは素晴らしかった)、アクモンのファーストには興奮したものだった。フラテリスなんてもってたっけ。ステレオフォニックスはないのにな。ランドオブトークってこれ何だ? ああ、ケイジャンダンスパーティ! なつい!
振り返ってみれば、オアシスとレディオヘッドの二大国が治世した90年代後半と、継承権をめぐって群雄が割拠した00年代前半というイメージ。けっきょくどのバンドもネクストオアシスあるいはネクストレディオヘッドたりえなかったけれども。
あのころは音楽雑誌とかも立ち読みしてたし、CD屋で働いていたのもあって、無数のバンドがハイプされてはフェードアウトする不毛なサイクルをけっこう関心をもってみていたものだ。USはUKに比べると喧しくないというかマイペースな印象だが、クラハンもやっぱり最初にワーワー騒がれたけど、そのあとゆっくりと静かになっていった。
これはYさんに借りてコピったのだったな。Yさんは少年みたいにさらっとした女性で趣味も合うので、こんな人と一緒に暮らすのもいいのかもな、とか思える人だったけど、CD屋にしばしばいる(であろう)音楽キチ買いで「ボートラがあるから日本版も買わんといかんかった」とか言うのをきいて一緒に暮らすのはムリだなと思った。
ユニークなフック(つまり変な声と歌い方)をもったバンドだし、メロディもしっかりしているし好きなのだけど、やっぱりエレキギターが少しうるさいし、かれら自身はそれを意識してあえてやってるのだろうが、インディー的なサウンドの粗さというのもあって、ぼくにはぴったりというわけではなかった。そう何度も聴きはしなかった。クラハンがというのではなくて、全体としてもうこういう音楽はいいかな、とそんな時期だった。だけど、セカンドの最後に置かれたこの曲はいまだに偏愛曲だ。
水底できみとぼくが暮らすスペイシーで不思議なイメージ。パレードの終りのような、煌びやかさとちょっぴりのもの寂しさの入り混じったこの感じ。ネガティヴとポジティブの、ファンタジーとニヒリズムの絶妙なバランス。物語の終わりはこんな風であってほしい、と思う。
Some Loud Thunder
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