すべてはここからはじまった。
そんなふうにドラマティックに言ってみたくなる。
それは歌が始まるよりも先だった。
再生ボタンを押すと、スピーカーから少し古い録音特有のシーという音。それからあの有名なアルペジオが流れ始める。その最初の四音で、ぼくの(とるにたりない卑小なものではあるけれども)運命は決せられた。
ああ、これだよ、これはぼくのために作られた音楽だよ。
そう思った。そんなわけはないが、腹の底から、そんな実感があった。それから歌がはじまる。
「やあ、暗闇、ぼくの古い友達」
孤独な自分を皮肉るレトリックとしてのこの再会のあいさつも、ぼくには文字通り再会のあいさつだった。
はじめて聴いた歌に再会する。それは奇妙なことだったが、本当に起こったことだった。ぼくはこの曲を聞く前から知っていたのだ。
あとになって、母親がむかし好きだったと知った。ぼくは生まれるまえにたぶんこの曲に出会っていた。
ぼくが最初に聴いたのは、バンドパートがオーバーダブされたヴァージョンだったが、今聴くとそのアレンジは古臭くエモーショナルにすぎる。やはりこのアルバムのヴァージョンで聴かれるべき曲なんだろう。ポール・サイモンの音楽は、ぼくにとって昔好きだった音楽でありながら、未だに聴き続けることの出来る稀有な音楽だ。彼のそのキャリアを通して、このアルバムから最新作の『ソー・ビューティフル・オア・ソー・ホワット』までどれもが素晴らしい。駄作というのは一枚もないが、といって時代を画する大傑作というのもない。そんなところがかえって長く付き合っていける要因なのかもしれない。S&Gのこの最初のアルバムというのは、もちろんポール・サイモンのキャリアの記念すべき最初のアルバムであるわけだけど、残念ながら、まあいちばんたいしたことない、といってもいい。なにしろオリジナル曲が少ない。トラッドソングのカヴァーはいいとしても、節操もなくディランのカヴァーまでしている。二人のハーモニーは良好で悪くはないが、ポールの作曲の天才性は十分に伝わらないだろう。
だが大丈夫。
このアルバムには「ブリーカー・ストリート」と「サウンド・オブ・サイレンス」と「水曜の朝。午前三時」がある。「ブリーカー・ストリート」のしっとりとした抒情と、「サウンド・オブ・サイレンス」の張り詰めた内省と、「水曜の朝」の壊れそうな瑞々しさはどうだろう。
ぼくはダンテ・アリギエリに一瞥もなく神曲などという形容を弄ぶ風潮を好きではないが、これらは、しかたない、三つの「神曲」である。
そんなふうにドラマティックに言ってみたくなる。
それは歌が始まるよりも先だった。
再生ボタンを押すと、スピーカーから少し古い録音特有のシーという音。それからあの有名なアルペジオが流れ始める。その最初の四音で、ぼくの(とるにたりない卑小なものではあるけれども)運命は決せられた。
ああ、これだよ、これはぼくのために作られた音楽だよ。
そう思った。そんなわけはないが、腹の底から、そんな実感があった。それから歌がはじまる。
「やあ、暗闇、ぼくの古い友達」
孤独な自分を皮肉るレトリックとしてのこの再会のあいさつも、ぼくには文字通り再会のあいさつだった。
はじめて聴いた歌に再会する。それは奇妙なことだったが、本当に起こったことだった。ぼくはこの曲を聞く前から知っていたのだ。
あとになって、母親がむかし好きだったと知った。ぼくは生まれるまえにたぶんこの曲に出会っていた。
水曜の朝、午前3時 サイモン&ガーファンクル Sony Music Direct 2003-12-17 |
ぼくが最初に聴いたのは、バンドパートがオーバーダブされたヴァージョンだったが、今聴くとそのアレンジは古臭くエモーショナルにすぎる。やはりこのアルバムのヴァージョンで聴かれるべき曲なんだろう。ポール・サイモンの音楽は、ぼくにとって昔好きだった音楽でありながら、未だに聴き続けることの出来る稀有な音楽だ。彼のそのキャリアを通して、このアルバムから最新作の『ソー・ビューティフル・オア・ソー・ホワット』までどれもが素晴らしい。駄作というのは一枚もないが、といって時代を画する大傑作というのもない。そんなところがかえって長く付き合っていける要因なのかもしれない。S&Gのこの最初のアルバムというのは、もちろんポール・サイモンのキャリアの記念すべき最初のアルバムであるわけだけど、残念ながら、まあいちばんたいしたことない、といってもいい。なにしろオリジナル曲が少ない。トラッドソングのカヴァーはいいとしても、節操もなくディランのカヴァーまでしている。二人のハーモニーは良好で悪くはないが、ポールの作曲の天才性は十分に伝わらないだろう。
だが大丈夫。
このアルバムには「ブリーカー・ストリート」と「サウンド・オブ・サイレンス」と「水曜の朝。午前三時」がある。「ブリーカー・ストリート」のしっとりとした抒情と、「サウンド・オブ・サイレンス」の張り詰めた内省と、「水曜の朝」の壊れそうな瑞々しさはどうだろう。
ぼくはダンテ・アリギエリに一瞥もなく神曲などという形容を弄ぶ風潮を好きではないが、これらは、しかたない、三つの「神曲」である。