またポール・サイモンのことを書こう。
83年の『ハーツ・アンド・ボーンズ』。
数あるサイモンのアルバムのなかでも、ぼくはこれが二番目に好きだ。一番目は、前にも言ったように『リズム・オブ・ザ・セインツ』だ。
全体のサウンドは僕の嫌いな80年代臭がぷんぷんする。しょっぱなの「アレジー」のやっすいシンセの効果音からしてげんなりする。「カーズ・アー・カーズ」のチャカチャカチャカは何なんだ。ミュージシャンは凄い人選なはずなのにどうしてこんなにチープなんだ。フィリップ・グラスもべつにいらんやろ。可能ならばリミックスして出しなおして欲しい・・・と思いはするが、それでも、二番目に好きだ。
ポール・サイモンの作品にはよくもわるくもある種の商売ッ気が感じられる。時代のムードにおもねっているところがある。売れなきゃいけない、とキャリアの最初から思い続けて音楽を作っている。むろんポップミュージックとはそもそもそのようなものなのだが、ポール・サイモンに成功をもたらしたのは、自分のあずかり知らぬところで施された「サウンド・オブ・サイレンス」のアレンジメントであって、そういう意味でそもそもの初めから、彼の表現とセールスには乖離があったのだ。その結果彼が立たされた位置というのは、作りたい音楽が売れる、というビートルズのような境遇でもなければ、たいして売れないから作りたいように作る、というボブ・ディランのような境遇でもなかった。作りたいものを作りたいという表現の欲求と、すこしずれたところで売れなければならない、という要請があったのだ。
彼は成功と表現のどちらもあきらめたりはしなかった。
その本来的にそぐわない成功の波を乗りこなしながら、なおかつ自分のやりたい音楽を探求した。それはある程度までうまくいった。しかし、自身が満足した「ダングリング・カンバーセイション」よりもラリってつくった「冬の散歩道」の方が売れるし、丹精を込めまくった「ボクサー」よりもちょいちょいと作った「セシリア」のほうがよほど売れてしまう、というような、どこかぴったりこないところが常にあった。もちろん、三つのグラミー・アルバムがそうであるように、芸術的コンセプトと時代性とセールスが完全ではないにせようまく合致するときもあった。でも、いつもそううまくいくというわけではなかった。
このアルバムはポールの表現にまつわるそのような齟齬が際立つ作品といえるだろう。
そもそもこのアルバムはサイモン&ガーファンクルのアルバムとして企画されたものだった。グラミー受賞の『時の流れに』のあとに『ワン・トリック・ポニー』という素晴らしい作品を出したにも関わらず、そのころにはセールスの下り坂はあきらかだった。ガーファンクルと組みさえすれば、成功を再び取り戻せるのはあきらか。このアルバムの曲はパーソナルなものだから、そんなことはしたくない、でも売れなきゃ。フュージョンや現音もとりいれたい、でも売れるためにはほどほどの深度で。と、あーでもない、こーでもない、の葛藤があり、その上で私生活のごたごたもあって、そもそも意図されていたアルバムタイトルは『考えすぎ』だというのだから。結局すんでのところで思いあまって(いくらか自棄になって)、ガーファンクルのパートをすべて消してしまったというのは有名な話。
「ポールは、サイモン&ガーファンクルのアルバムを1500万枚売るよりも、ポール・サイモンのアルバムを25万枚売ることの方を選んだんだ。」
とガーファンクルをして言わしめることになる。
しかし、そんなアルバムではあるけれども、ぼくはこのアルバムが二番目に好きだ。なぜならば
「ハーツ・アンド・ボーンズ」
「トレイン・イン・ザ・ディスタンス」
「ルネ・アンド・ジョルジェット・マグリット・ウィズ・ゼア・ドッグ・アフター・ザ・ウォー」
の3曲が入っているから。
状況は非常にごたごたしていたが、ポールのソングライティングはキャリアピークといえるほどに、研ぎ澄まされていた。とりわけこの3曲はすごい。芸術の女神は不思議なときに微笑むものだ。
まあ、この引き語りヴァージョンを聞いてみてくれ。
天・・才・・・
アレンジなんていらんかったんやー。「ハーツ・アンド・ボーンズ」のデモはないんかー。つーか、全曲ポールのギターだけのヴァージョンだしてくれやー。
他の「レイト・グレイト・ジョニー・エイス」も「月に捧げる想い」も佳曲だし、「ナンバー・ゲット・シリアス」や「カーズ・アー・カーズ」といったアップテンポの曲も、やすっぽい感じはあるが、じつはメロディはどれも冴えている。リードトラックの「アレジー」はどうにも弁護しようのない駄曲だが、これをシングルで切るというところが、売りたいのか、売りたくないのか、泣きながら笑うかのごとき、ポールの内面の葛藤が現れているともいえるだろう。
ともあれ、とっつきにくいアルバムかもしれない。ぼくも最初はまるで聴けなかった。ポールのアルバムの中でも好きになるのに一番時間のかかったアルバムかもしれない。しかし、よーく目を凝らして欲しい。濁流の底を覗き込んで欲しい。そこには、あまりにも清明で美しい、ポールの表現がとうとうと流れているのだ。
83年の『ハーツ・アンド・ボーンズ』。
数あるサイモンのアルバムのなかでも、ぼくはこれが二番目に好きだ。一番目は、前にも言ったように『リズム・オブ・ザ・セインツ』だ。
全体のサウンドは僕の嫌いな80年代臭がぷんぷんする。しょっぱなの「アレジー」のやっすいシンセの効果音からしてげんなりする。「カーズ・アー・カーズ」のチャカチャカチャカは何なんだ。ミュージシャンは凄い人選なはずなのにどうしてこんなにチープなんだ。フィリップ・グラスもべつにいらんやろ。可能ならばリミックスして出しなおして欲しい・・・と思いはするが、それでも、二番目に好きだ。
ポール・サイモンの作品にはよくもわるくもある種の商売ッ気が感じられる。時代のムードにおもねっているところがある。売れなきゃいけない、とキャリアの最初から思い続けて音楽を作っている。むろんポップミュージックとはそもそもそのようなものなのだが、ポール・サイモンに成功をもたらしたのは、自分のあずかり知らぬところで施された「サウンド・オブ・サイレンス」のアレンジメントであって、そういう意味でそもそもの初めから、彼の表現とセールスには乖離があったのだ。その結果彼が立たされた位置というのは、作りたい音楽が売れる、というビートルズのような境遇でもなければ、たいして売れないから作りたいように作る、というボブ・ディランのような境遇でもなかった。作りたいものを作りたいという表現の欲求と、すこしずれたところで売れなければならない、という要請があったのだ。
彼は成功と表現のどちらもあきらめたりはしなかった。
その本来的にそぐわない成功の波を乗りこなしながら、なおかつ自分のやりたい音楽を探求した。それはある程度までうまくいった。しかし、自身が満足した「ダングリング・カンバーセイション」よりもラリってつくった「冬の散歩道」の方が売れるし、丹精を込めまくった「ボクサー」よりもちょいちょいと作った「セシリア」のほうがよほど売れてしまう、というような、どこかぴったりこないところが常にあった。もちろん、三つのグラミー・アルバムがそうであるように、芸術的コンセプトと時代性とセールスが完全ではないにせようまく合致するときもあった。でも、いつもそううまくいくというわけではなかった。
このアルバムはポールの表現にまつわるそのような齟齬が際立つ作品といえるだろう。
そもそもこのアルバムはサイモン&ガーファンクルのアルバムとして企画されたものだった。グラミー受賞の『時の流れに』のあとに『ワン・トリック・ポニー』という素晴らしい作品を出したにも関わらず、そのころにはセールスの下り坂はあきらかだった。ガーファンクルと組みさえすれば、成功を再び取り戻せるのはあきらか。このアルバムの曲はパーソナルなものだから、そんなことはしたくない、でも売れなきゃ。フュージョンや現音もとりいれたい、でも売れるためにはほどほどの深度で。と、あーでもない、こーでもない、の葛藤があり、その上で私生活のごたごたもあって、そもそも意図されていたアルバムタイトルは『考えすぎ』だというのだから。結局すんでのところで思いあまって(いくらか自棄になって)、ガーファンクルのパートをすべて消してしまったというのは有名な話。
「ポールは、サイモン&ガーファンクルのアルバムを1500万枚売るよりも、ポール・サイモンのアルバムを25万枚売ることの方を選んだんだ。」
とガーファンクルをして言わしめることになる。
ハーツ・アンド・ボーンズ(紙ジャケット仕様) ポール・サイモン SMJ 2011-11-23 |
しかし、そんなアルバムではあるけれども、ぼくはこのアルバムが二番目に好きだ。なぜならば
「ハーツ・アンド・ボーンズ」
「トレイン・イン・ザ・ディスタンス」
「ルネ・アンド・ジョルジェット・マグリット・ウィズ・ゼア・ドッグ・アフター・ザ・ウォー」
の3曲が入っているから。
状況は非常にごたごたしていたが、ポールのソングライティングはキャリアピークといえるほどに、研ぎ澄まされていた。とりわけこの3曲はすごい。芸術の女神は不思議なときに微笑むものだ。
まあ、この引き語りヴァージョンを聞いてみてくれ。
天・・才・・・
アレンジなんていらんかったんやー。「ハーツ・アンド・ボーンズ」のデモはないんかー。つーか、全曲ポールのギターだけのヴァージョンだしてくれやー。
他の「レイト・グレイト・ジョニー・エイス」も「月に捧げる想い」も佳曲だし、「ナンバー・ゲット・シリアス」や「カーズ・アー・カーズ」といったアップテンポの曲も、やすっぽい感じはあるが、じつはメロディはどれも冴えている。リードトラックの「アレジー」はどうにも弁護しようのない駄曲だが、これをシングルで切るというところが、売りたいのか、売りたくないのか、泣きながら笑うかのごとき、ポールの内面の葛藤が現れているともいえるだろう。
ともあれ、とっつきにくいアルバムかもしれない。ぼくも最初はまるで聴けなかった。ポールのアルバムの中でも好きになるのに一番時間のかかったアルバムかもしれない。しかし、よーく目を凝らして欲しい。濁流の底を覗き込んで欲しい。そこには、あまりにも清明で美しい、ポールの表現がとうとうと流れているのだ。