ぼくの好きだった音楽

歌が答えであったことはなかった ただ人生のサウンドトラックってだけだった

ジャケ買いという愚行について

ぼくがまだ救いがたいアホだった高校生のころ、一度だけジャケ買いというやつをしたことがあるのだった。
自分でものを考えられないとてつもなくアホだったあのころのぼくは、音楽好きともなれば「ジャケ買い」のひとつやふたつするものだというどこから来たのか知らないイメージを浅はかにも受け入れていたのだ。
それでともだちとCD屋にいったとき、とくに目当てのCDがなくって、まあよくやっていたように、棚に並んでいるCDを眺めていたわけだが、たしか白い背景にライムグリーンの電話機がぽんと置かれている写真のジャケが目に入った。
イメージ画像。↓

無題











マジでこんなんだった。なぜこんなもんに惹かれたのか? ぼくは自分で自分を分からない。イカれていたとしか思えない。
帯の文句もよかったのかもしれないが、ぼくはそれを手にとって、これちょっと買ってみるわ、みたいなこなれた風を装って会計したのだった。「おまえ、そんな買い方すんのな」とともだちは目を丸くしていたのを覚えている。あの一時のぼくはそれをプチ尊敬のまなざしと解釈したが、なんのことはない、こいつアホだなと、ただ呆れられていたのだと、いまにして思う。数多い消し去りたい過去のひとつだ。

あれは、誰のCDだったのだろう? もう名前も覚えていない。cooper temple clauseみたく三つの英単語が並んでいて、うちひとつがangelだったような気がするが、それも定かではない。ネットを駆使して探そうとも思わない。いや、見つけたくない。
たぶんS&Gみたいな音を期待しつつCDを再生したら、単調なバンドサウンドをバックに女声がお経みたいなメロを歌う音楽が流れてきた。即座に自分が重大な過ちを犯したことを自覚した。一分も聞かなかったんじゃないか。ぼくはすぐさまそのCDをトレイから出し、ケースに入れ、棚の奥底に封印し、以来二度と聞いていない。今思えば、そこまでしなくてもって思うし、せっかく買ったんだがらもうちょっと聴いてみろよ、もしかしたら気に入ってくるかもしれないし、とか思うけど、そのときのぼくはただいち早く失敗をなかったことにしたかったのだ。あれだ、ヘッセの蝶を盗むあの少年の気分。どうしようもない恥辱と悔恨。独りで買ったならまだしも、ぼくはあれをともだちに見られていた。「つまり君はそんなやつなんだな」と蔑みの目で・・・。

というわけで、以来ぼくはジャケ買いというのは狂気の沙汰だと思っている。そりゃジャケがカッコいいにこしたことはないが、音が伴わなければなんの意味もない。当たり前の話だ。逆に音がよければ、少々ダサいジャケでもかっこよく見えてくる。そういうもんだ。

それで好きなジャケベストみたいなのを考えてみたのだけど、なんだかんだでぼくのベストはこれなんじゃないか。一見雑多な風でいて、実は絶妙に配置されているもの、がぼくはやけに好きなのだ。

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この時期のオエイシスのジャケはシングル盤もふくめてどれもこれもカッコいい。




もちろん音楽だって最高だった。このころのオエイシスは夢と希望そのものだった。

以下、他のノミネート作品。ジャケを見るとどうしても音が聞こえてくる。音関係なしに選ぶってのはけっきょく無理だな。これらは、ジャケ買いしても、きっと後悔しない内容でもあるかと。


 
ワースト賞はこれですかね。ギャップ感も含めて。この胸毛にクレアを抱きしめてたんですかね。


 

サプライズ/ポール・サイモン

異色作だろう。
もちろんサイモンはアルバムごとにいつも新試行を打ち出してきたミュージシャンだが、このアルバムはその様変わっていくサイモンのキャリアの中でも浮いているように見える。

ジャケからしておかしい。ポールのアルバムは基本的にダサいジャケが多いわけだが、なんだこのつるつる肌の赤ちゃん。こんなのポールサイモンのレコードらしくない。この際なので全部並べておくと

 

見栄えのするアーティのおかげでさまになっているS&G期を除けば、サイモンのレコジャケは基本ダサい。「スティルクレイジー」は素晴らしいレコードだが、その内容と腰に手をあててポーズをとっている「髭サイモン」の落差ときたら。ディランのフリーホイーリンとか、オアシスのモーニンググローリーとか、あんな感じのに出来んかったものか。他はまあ許容範囲だが、たとえば飾っておきたくなるような素敵なジャケというのはひとつもない。
個人的にこのアルバムが出た頃は新しい音楽の方にばかり目が行って、サイモンから離れていた時期でもあって、もちろん出てすぐ買うには買ったが、このジャケにはさすがにがっくりきた記憶がある。サプライズ?そりゃ驚いたよ、ある意味ではね。

とまあジャケはともかく内容のほうも一聴してかなり異質に思えた。このアルバムではブライアンイーノとのコラボがまず取りざたされるわけだが、そのせいかどうか知らないがサイモン史上もっとエレキギターが鳴る「ロック臭」の強いアルバムになっている。こんなふうにエレキギターでジャーンってコードを鳴らす曲ってこれまでにあったっけと。ハイライトの「ウォータイムプレイヤー」なんか、サビの合唱のとこがディランかスプリングスティーンさえ思い起させるスタジアムロックというか、ここへ来てこんなのやるんか、と戸惑わずにはいられなかった。

ロックとは「みんなのうた」なんだと思う。パーソナルな思いが核としてあるにしても、それをアンプを通して文字通り増幅して、共有性の場を作り出すこと。それがロックという音楽なのだ。ゆえに、ロックとはエレキギター、もっといえばアンプリファイアーの音楽だ。
ロック隆盛の時期にあって、サイモンは一貫して個の音楽であり続けた。アートガーファンクルの声という「増幅器」を使うことで、いくらか共有性の場を広げるということはあった(「明日に架ける橋」が最大の例だろう)にせよ、ポールの音楽を愛好するものはつまるところ「個」であることのポールを愛し続けてきた。「みんなのうた」たることを意図して作られた「アメリカンチューン」だろうと、大所帯のアフリカンミュージックに間借りした作品にせよ、孤独なポールはいつもそこにたち現れていた。それはカフェのテーブルごしに語りかけるような彼の歌声と、アコースティックギターの響きのゆえだった。
このアルバムはサイモン史上もっとも共有性の場に踏み入ったアルバムといえるかもしれない。直感的には、ニューヨークのテロ事件に対するリアクションだったという風に思える。直接には言明されていないがオープニングの「どうして北東部に住めるのか?」は911を意識して書かれていると思うし、「花火の音を聴いて、ぼくらは空を見るために飛び出した」なんてフレーズにも、どこかあのビルに突っ込む航空機の映像が重なってくるような気がする。サイモンは911のこの作品への影響をはっきり語ってはいないと思うが、明確な反戦歌である「ウォータイムプレイヤー」が最初に作られたという経緯からして、強く意識してたんじゃないかな。がゆえに、連帯性、共有性みたいなものを、これまでになく欲したということなのかもしれない。
それでイーノに声をかけたということなのか。でもサイモンがイーノに求めていたのが「U2みたいなロック」だったのかどうかはぼくには疑問だ。どこかでサイモンがイーノとのコラボでは、音源を送って戻ってくるのを待ってただけで、コミュニケーションが不足していた、とか語っていたのを読んだ気がするが、これはぼくが捏造した記憶だろうか? いずれにせよ、ぼくとしては、このアルバムはどこか上手くいっていないと思える。なんか時間以上に長く聴こえるんだよなあ。後半の方がいい曲が多いのだけど、なかなかそこまで行けないというか。結局、サイモンの持ち味である個の繊細さをイーノのエレクトリックな音が霞ませてしまった、ということなんだろうか。「ノースイースト」とか「アナザーギャラクシー」とか「ワンスアポンナタイム~」とか「ザッツミー」とかいい曲だと思うんだけどね。その音要る?って思ってしまうところがどうしてもある。いちばんおいしい曲が、イーノが関わっていない「ファーザーアンドドーター」ってところがねえ。

U2とサイモン。



ボノが、導師に会ったかのごとく、マイクを預け合掌して深々と頭を垂れる様は見ていて美しい。
しかし、その後の「ホエアザストリーツ~」の盛り上がりっぷりときたら。これが「みんなのうた」ってやつだ。こりゃかなわねえ、ポールの柄じゃねえわ、とか思っちゃいますね。

ジャッキー・マクリーン~モダンジャズの凡庸な中心

そういえばドルフィー以前に、ぼくはマクリーンが好きだったのだ。
「スイングスワングスインギン」とかよく聴いてたっけ。

マクリーンの魅力はなんといっても一聴してそれと分かる苦甘いトーンにある。アルトサックスはとくに吹き手によってずいぶん音色が変わるような気がする。才気走ったところはないのだけど、そのいくらかたどたどしいような語り口に不思議な人懐っこさがある。希望と諦めを同時に抱えているような、喜びと悲しみがないまぜになっているような、凡才の情熱(失礼な言い方だな)がぼくらの胸をふるわせる。

マクリーンの魅力は中庸の魅力である。
ぼくは(整理の)便宜的にモダンジャズを「マイルススクール」と「ミンガススクール」に分類している。その他、「ブレイキースクール」(ファンキージャズ)や「白人系」(ウエストコーストジャズ)といった集合も想定できるが、その辺はあまり持っていない。マイルススクールが規律によって統率された軍用犬の群れだとすると、ミンガススクールはあぶれものの野犬が親分を慕って集った群れという感じである。それでいったらブレイキースクールは伝統的な血族集団であり、白人系は飼い犬の集まりといった感じか。マクリーンはそのどこにも属さない(強いて言えば「その他ハードバップ」という特に強力な求心点を持たないブルーノートとかプレスティッジとかにたむろしている、土着のばらりとした集合に属することになるわけだけど)。
ロリンズと同窓であり、マイルスと寝食を共にし、ミンガスに「おれが必要だったのかパーカーではなくマクリーンだったのだ」と言わしめた男。基本トラディショナルなバップジャズに身をおきながら、トニーウィリアムズを発掘したりと新進のジャズメンとの共演にも意欲的。一応は黒人なんだけど、白人と見まがうくらいに肌の色は薄い。なにかと中ぐらいな感じが、マクリーンの魅力なんである。突出しないがゆえに、モダンジャズというムーヴメントの中心点にいる。

作品の出来栄えも突出しない。ジャズ評論家の油井正一がいみじくもいったように、「(「スイングスワングスインギン」を除いて)マクリーンのレコードは星5つをつけたいようなものはひとつもないが、どれも星4つくらいのよいレコードばかりである」。

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マクリーンを聴くという観点ならば、ワンホーンでマクリーンの音色がしこたま味わえる「スイングスワングスインギン」がやはり最良だろう。あとフレディレッドとやってる「コネクション」とかもある。あとはサイドメンの好み次第というところだが、ハービーハンコックが新味を加え、ロイヘインズのドラムがやたらと冴えまくる「イッツタイム」なんかぼくはかなり好き。


 
この演奏なんか、ジャズだなあ、って思う。

「飛べない鳥」と、マクリーンの冴えないトーンを聴きながら、いつだってたとえが好きなぼくは独りごちたものだった。「バード」に焦がれながら、しかし彼のように飛翔することはなく、独特の跳躍を繰り返す鳥。その幾分不器用なダンスは、どこかぼくら自身の体温にも似た情熱を感じさせはしないか。 
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